七芒星

不可能を可能にする

どれも宝物でまだ思い出すよ

 
この夏の松竹座公演が終わるまでには、自分の気持ちを一旦整理するためにこのブログを書こうと決めていた。
 
ここで大谷怜爾くんのことを話すのは、多分これが最後になると思う。
 
 
 
 
 
私がテレビで怜爾くんの存在を知ったのは、2013年のまいジャニだった。
 
 
 
いや〜〜今見ても顔がかっこいい。これは見つかるわ。
 
そして2014年、ジャニーズWESTが無事に7人でデビューを果たし、初めてWESTメンバー以外の人を目当てに松竹座に通うようになった。当時は松竹座もウチワを持つことが許されていたので、この時初めて怜爾くんのウチワを持つことになる。
 
 
私がこれまで見てきた怜爾くんは、舞台に立っていても目立った台詞があるわけでもなく、マイクを持って声を発する機会もなかなか与えられず、一挙一動から成長を感じ取るしかなくて。以前にもブログに記したことがあるけど、初めてしっかりと生で聴いた声は2016年4月5日の「はーい!」という元気な声だった(泣いた)それも大好きな福福大吉の漫才が観られるという、夢のような時間だった。本当に嬉しかった。
 
 
そして2016年の春が終わり、怜爾くんがDK最後の夏を迎える前に決意したことがあった。
 
 
「今年が怜爾くんを見られる最後の夏になるかもしれないから、無理してでもたくさん松竹座に通おう。」
 
ネガティブな発言ばかりしていると本当に悪い方向に事が進むと思っているので、表では「怜爾くんも受験期間はお休みするかもしれないから」なんて言っていたけど、心の中は「いつ辞めてしまうかわからないから」という不安でいっぱいだった。とにかく後にも先にも、あれほど松竹座に通った年はないと思う。
 
それでも怜爾くんは夏だけでなく、秋も冬も仕事と勉強を両立して頑張り続けてくれた。
年明けのジャニーズWESTのコンサートだって、ツアーメンバーとして横浜アリーナのステージに立っていた。
雑誌でも仕事と勉強を両立したいと言っていたし、大学の間はジャニーズを続けてくれるのだろうか?という期待はあった。元々行く予定に入れていなかった横浜アリーナは、急遽友だちにチケットを譲ってもらって最終日だけ入ることに決めた。
 
 
それが怜爾くんがステージに立った最後の公演になってしまうなんて、想像もしていなかったけど。
 
 
楽しみに出番を待っていた福井公演、そこにはもう怜爾くんの姿はなくて。自分がWESTのファンじゃなかったら、正直耐えられなかったと思う。ジャニーズWESTがいて良かったほんとに!(やっぱりちょっと泣いたけど!)
 
それからは「いつか帰ってくる」と信じながら、色々な噂が耳に入ってきても確信が得られるまでは騒がずに待つしかないと思ってて。
 
もちろん怜爾くんが姿を消してしまったことは悲しかったし辛かったけど、それと同じくらいに悔しさや怒りもあって。どうしてこのタイミングで?どうしてこんなチャンスを棒に振ってしまうんだろう?なんてことを考えてしまう自分が嫌でたまらなかったし、周りもそれを感じ取ってくれてか、私から怜爾くんのことを話し始めるのを待ってくれていた友だちも多かったと思う。これを読んでくれているかはわからないけど、たくさん話を聞いてくれた友だちには本当に感謝しています。
 
 
 
 
怜爾くんの動向に関して感じていることを、これまで適当に流し続けていた私が「最後」だと言ったのには、理由があって。
もちろんこのブログは自分自身のけじめとして書こうと決めていたのだけど、もしかしたら私と同じようなモヤモヤを抱えた方々も読んでくださっているかもしれないので、このまま最後まで読んでいただけたらなあと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
結論から言ってしまうと、やっぱり怜爾くんは事務所を辞めてしまったらしい。
 
 
 
 
なんだか嘘みたいなホントの話なんだけど、この記事の冒頭を書き始めた矢先に、怜爾くんと遭遇するという妄想のような出来事が起こりまして。
 
 
仕事で外出をしていたとき、職場の子と信号待ちをしながらなんとなく目線を逆側に向けた瞬間、ひとりで駅から出てきた男の子と目が合った。
それが怜爾くん。
 
マスクをつけてキャップをかぶっていたけど、まあ怜爾くんを見間違うわけもなく。(ステージ上で仮面つけてたってわかるんだから!)
 
 正直、今まで関西Jr. に遭遇することは何度かあったけど、自分から進んで声をかけたことは一度もなかった。(逆に話しかけられたことはあったけど)
しかも私がジャニオタだなんて一切知らない職場の子と一緒だったので、どうしようかとしばらく葛藤はあって。でも、ここで行かないと一生後悔する!と勇気を振り絞って、怜爾くんに話しかけに行った。(職場の子には近くのコンビニで待ってもらった)
 
緊張しながら、声をかけてまずは念のため名前を確認。(聞かなくてもわかるけど)
そして、一番聞きたかったことをストレートに聞いた。
 
怜爾くんからの返事は、さっきも書いた通りで。理由としては、学業に専念したいからだと話してくれた。
 
正直もう覚悟はできていたから、その場ではわりと冷静に受け入れることができた。(それより怜爾くんが目の前にいるという緊張の方が強かった)
 
長く引き止めてしまうのは悪いと思っていたので「勉強頑張ってください」なんて無難なことを言って最後に挨拶をしようと思っていたんだけど、その後も大学でやりたいこととか近況とか話してくれて。緊張で語彙力とコミュ力を失っていた私は、つまらない相槌を打ちながら多分5回ぐらいは「頑張ってください」と返したと思う。
 
今は大学生として頑張っていることもわかったし、そろそろ最後に一言伝えて終わりにしよう!と思っていたら、怜爾くんが突然マスク越しに口元を指差しながら「今、親知らず抜いてきたばっかで…」と話題を変えてきた。だからマスクしてるんですっていう意味だったと思うんだけど、突然の予期せぬ報告に「私もこないだ抜きました」「早く良くなるといいですね」なんて再び何の面白みもない返ししかできなかったんだけど。
 
 
そんな感じで何度か会話を交わして、最後に握手をしてもらって終わりにしたいと思ったのでお願いをしたら、手に持っていた財布とICカードをしまって両手を差し出してくれた。
 
何を伝えようかなんて考えは全然まとまっていなかったけど、「ずっと応援してました、今までありがとうございました」という言葉が自然に出てきた。
ちゃんと伝わったかどうかは別としても、自分が本当に言いたかったことは言えたんじゃないかなあと。怜爾くんが目の前にいる間ずっと緊張でいっぱいいっぱいだったけど、真っ直ぐ目を見て聞いててくれたなあとか、少し屈んでくれたなあとか、今でも思い出すとちょっとドキドキするし、時々泣けてくる。
 
 
 
彼の今年の活躍を夢見て以前ブログに記した願いは、結局ひとつも叶えてくれはしなかったけど。
 
こうして直接本人の口から聞きたかったことを聞くことができて、自分の気持ちを面と向かって伝えることができて、正直こんなに幸せなお別れができるとは思ってなかった。
 
脳内お花畑だしアイドルに夢を見ていたいオタクだから、ずっと応援していた人に話しかけるのにはすごく勇気が必要だったけど、声をかけて本当に良かったと思う。
 
 
ただ別れ際に「じゃあ、また!どこかで会えたら!」なんて超爽やかに言われたことに関しては、いや、また会えたところでもう話しかけられるわけないんですけど!?と後々になって頭抱えているのだけど(そのときは咄嗟に「はい!じゃあ!」とか返しちゃったけど)最後の瞬間までオタクの心を掴んでしまうのだから、ずるい子だよほんとに!
 
 
 
映画の中で笑顔で踊る怜爾くんも、エンドロールで吉岡廉と並ぶ「大谷怜爾」の名前も見届けたし、そろそろ本当に自分の中で踏ん切りをつけようと思います。
 
 
最初に言ったように、ここで怜爾くんの話をすることは今後ないと思う。(お願いだから公開SNSとかおかしな芸能活動なんて始めないでくれよな……)
 
だからといってジャニオタをやめるわけではないし、ジャニーズWESTも関西Jr.も、なんならジャニーズ事務所が好きなので今後も現場には通い続けると思う。 
つまらなくて重たいオタクですが、これからもお付き合いいただけると幸いです。
 
 
 
後悔のないように、今後もやりたいことはできる限りやっていきたいなあと思います。日々頑張ります。
 
 
 
 
大谷怜爾くん、今まで関西ジャニーズJr. として頑張ってくれてありがとう。私の目に止まってくれてありがとう。お疲れ様でした。最後の最後まで、大大大好きだったよ!バイバイ!